再び、土井善晴さんが伝えて下さったこと
「一汁一菜でよいという提案」という料理研究家の土井善晴さんの著書が世に出てから、もうすぐ2年になります。
私の周りにもこの本に感銘を受けた、この本で考え方が変わった、という女性がどんどん増えつつあります。
私も例外ではありません。
今まで多くの料理家の方のエッセイを読んできましたが、これほど深く心に染みいることばの並んでいる本はありません。
この本に出会ったおかげで、ずっと自分の中でモヤモヤしていた霞が晴れて、あらたな日々のごはんへの向き合い方も生まれ、すがすがしい気持ちでこの茶飯事会のスタートがきれたように思います。
「この本を読めば絶対に変わるから、読んでみて!」と何冊も本を買い込んで、半ば強制的に友人たちにプレゼントして回ったくらいです。
何に感銘を受けるのか、何が変わるのか、昨年の旧ブログに紹介したものですが、もう一度自分でも振り返り思いを新たにする意味で、あらためてこの茶飯事会のブログにも載せてみます。
目次
昨年のブログより
先月のなかば、九州大学でそれはステキな食育イベントがあり、早朝からいそいそと日帰りででかけてきました。
今話題の「一汁一菜」の声かけ人、料理研究家の土井善晴さんと、「弁当の日」運動の提案者竹下和男先生とが出会い語り合う夢のコラボレーションです。
一汁一菜という提案」の本はすでに読んではいましたが、生の土井さんの口から出る言葉は、ひとことひとことが心に沁みて、帰りの新幹線の中でもずっとそれらを反芻し続けていました。
その言葉とは何か、今日はご紹介しようと思います。
いえ、ぜひとも紹介したいのです。
土井さんの塩むすび
すでに有名な料理研究家である土井善晴さんの存在が気になりはじめたのは2014年の秋のことでした。
たまたま購入した「NHK今日の料理」テキスト11月号に、新米で作る真っ白の塩むすびの作り方を紹介されていたのです。
あの有名な料理研究家が、ただの塩むすび?? それを本に載せる??
ですが、目を通してみると、そのレシピの行間にある思いの深さにただただ感動してしまいました。
というコメントそのままに、あるがままの形にほっこりと握られたおむすびには神聖ささえ漂っていて、ごはんの原点とは何かをあらためて考えさせてもらえました。
「千と千尋の神隠し」の中のおむすびを覚えていらっしゃいますか?
両親がブタに変わって絶望の淵にいる千尋にハクが「こんなときだからこそしっかり食べろ」と差し出した、真っ白のおむすび。とても食欲が出るような心の状況ではないのに、千尋はそれにかぶりつき、とにかく千として生き抜くことを決意するあの場面で、真っ白のおむすびは生きることの象徴でした。
あの場面を観て以来、私の中で白いおむすびは特別な尊い存在になりました。
土井さんの塩むすびを目にしたとき、ハクの白いおむすびのことがすぐに浮かんできたのは言うまでもありません。
土井さんのメッセージが心に届いた瞬間でした。
「汁飯香~しるめしこう~」のお話
次に土井さんの名前が目にとまったのは、昨年(2016年)の夏のこと。
朝ドラ「とと姉ちゃん」にインスパイアされて購読し始めた「暮らしの手帖」で始まった土井さんの新連載は、「汁飯香のお話」。
日常の暮らしが圧倒的に楽になる秘訣は、日常の食事スタイルを一汁一菜にすればよい、という有名な料理研究家さんとしては画期的な提案でした。
ですが、「そう言われてもなあ・・・ 」これが最初に感じた私の印象です。
お料理好きの自分としては、おかずが「たったの」一皿だけ? 具だくさんのお味噌汁ならそれを一菜と考える? お出汁なしのお味噌汁? いえいえそんなんあり得ない、手抜きをするってことなのかしら、そんな風に思いました。
でも、土井さんが意図されていたのはそんなことではなかったのです。
今にして思えば、塩むすびともしっかりと繋がる土井さんの揺るぎない料理への思いの表れでした。
食事作りのストレスから日本の女性を解放したい
食事作りを義務にしないで、自己表現の場として楽しもう!
これは、前回のブログで紹介した、作家桐島洋子さんの言葉です。
ですが、実際には、日本の女性は義務感で台所に立っている場合が少なくないと土井さんはおっしゃいます。
献立を立てるのがどうにも苦手、どうすれば毎日工夫ができるの?と私もよく若い人たちに聞かれます。
「40年近くも毎日献立を考えてきて引き出しもたくさんできてくると、そんなに苦労はしないものよ、そのうちあなたもできるようになる」と言ってはみても、なんの解決にもならないことは明らかで、どうすれば彼女たちの苦手意識を取り除いてあげれるのか、私の悩みどころでもありました。
そんな悩める女性たちの救世主となったのが、土井さんの「一汁一菜でよいという提案」です。
食事作りは本来、毎日繰り返す日常当たり前の生きる基本となる地味な営み。
いつのまにかハレとケとの区別がつかなくなってきた日本の家庭の食事を、一旦初期化してシンプルに戻し、もう一度料理と向き合いなおそうというなんとも心温まる提案です。
料理研究家だからこそひびく言葉とは・・・
- 心を込めて飾り立てるハレの日の料理と日常の料理は違っていい。
- 家庭料理がいつもごちそうである必要はない。
料理番組や料理本で紹介される料理は、ごちそうがほとんどです。
そのごちそうを知り尽くした料理研究家の土井さんが家庭料理の捉え方をこんなふうにおっしゃるからこそ、いっそう心に響くのでしょう。
さらに土井さんは続けます。
- 家庭料理は上手下手を気にする必要なんて無い。
- 下手でも毎日一生懸命作ってくれた事の方が子どもたちにとっては大事な記憶。
- 「おいしい」って舌先で味わうだけじゃない、食卓の雰囲気で感じ取るもの。
- 作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すより、「今日はこれしかないからごめんね〜」と笑って出してくれる料理の方が家族はみんなシアワセになれる。
心の置き場は食卓にある
満を持して昨秋(2016年)出版された「一汁一菜でよいという提案」という本には、今の日本の女性達を勇気づける魔法の言葉がさらにたくさん散りばめられています。
私自身も、食卓カウンセラーとして自分が目指すものが、土井さんのこの提案の中にすべてあるように思えて、本を読む最初から最後まで、頷いてばかりです。
この帯の短い文章でさえ、なんて深い!
いつもはすぐに外してしまう帯も、これではとることができません。
とても理にかなった考え方ではないでしょうか?
ついでに、目次も紹介しましょう。
目次のタイトルだけでも、ぐいぐいと惹きつけられることばが並んでいると思いませんか?
一汁一菜、私の場合
一汁一菜でいいと思ったら「今晩何しよう」というストレスから解放されて、逆に料理作りが楽しくなったと言う話よく聞きます、と土井さんがある記事でお話されていましたが、その気持ち、実は私も思い当たるのです。
夫が、「これだけで十分なのでは?」と言ってくれても、もうちょっと待って、料理好きの自分としては、せめておかずは3品は作りたい、作れるんだから、と時間をかけて作っていた夕食。
土井さんがおっしゃる「一汁一菜」の本当の意味がわかってからは、一汁三菜が当たり前、と思っていた頃よりも夕食作りのハードルが下がり、帰宅して荷物を置いたら「さあ、やるぞ!」と声に出して自分に気合いを入れなくても、すっと台所に立てている、そんな自分に気がつきました。
結局は三菜用意できたとしても、プラスアルファで作れちゃったという気分が持てて、心のゆとりを感じています。
ある日のお昼ごはん
塩むすびと豆乳味噌汁
台所に立つのが億劫な人も、毎日の食事作りが少しでも楽になれば、作る楽しみが芽生えてくるかもしれません。
いえ、きっとそうなると思うのです。
だって、自分や人が喜んでくれるのを見たら、もっとがんばりたくなる、それって本来誰にでも備わっている気持ちだと思うから・・・。
そうすれば、桐島洋子さんが言うようにきっと台所が大切な自己表現の場になってくるはずです。
食べ方を変えたら、生き方が変わる。
これってやっぱり本当のことだったんだと自分が納得できる日まで、一汁一菜という提案にあなたも乗っかってみませんか?
最後に、もうひとつ、土井さんからのメッセージ。
「一汁一菜でよい」
短い一言なのに、日本の食卓に、暮らし方に革命を起こす大きな大きなこの提案。
土井さん、このことばを届けて下さって本当にありがとうございました。
投稿者プロフィール
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料理教室「茶飯事会」主宰。食卓カウンセラー。ときどき、獣医師。
「ていねいな暮らしはちょっぴりていねいな日常茶飯事から」をコンセプトに、「おとなの飯事(ままごと)〜四季折々のばらずしの会」や季節のごはん教室、出張ごはん、など、誰かの食卓をシアワセにするためのお料理活動を展開中。
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