いつも瞳を輝かせながら

昨年末で、63歳になりました。

3年も過ごすと、60代もずいぶん板についてきて、ちょっと拗ねた60代の素顔が顔をのぞかせてくるようにもなりました。

「お疲れですか?」「精も根も尽き果てた顔してるけど」

最近会うと尋ねられることが増えました。

 

「ちょっと痩せた?」

若い頃ならうれしいそのひとことも今かけられると少し凹む私がいます。

 

疲れ果てたように、痩せたようにみえるのはただただ見た目の「経年変化」つまり老化のせいなのではないかと自ら分析していました。

そりゃあもちろん日々の暮らしの中には細かな細かな心の「澱」があって、ソーダ水の泡のようにとぎれることなく立ちのぼっては消えていきますが、本人はいたって元気でやる気にも溢れてはいるのです。

 

かと思えば、「わあ、そんなお年には見えませんね」「かおりさん、若い!」

いやいや、63歳にしか見えないことは、毎日クールに自分の顔を鏡で眺めている私がいちばんよく知っています。

 

「そんな年には見えない」「お若い!」

こんなことばをかけられてうれしいどころかモヤモヤする、それが60代の洗礼なのかもしれません。

見た目の衰えは仕方ないし。

20代や30代のツヤ肌に勝てるわけはないし、だいたい若作りなんてみっともないよ。

それにそもそも「そんなお年に見えない」ってなに?「お若い」って?

60代って「そんなお年」なの?「若いって言われるのは、60代がもはやお年寄りだってことが前提にあるんやん」

気がつくと、逆ギレ気味に心の中でくってかかるかっこわるい自分がいます。

あるいは、「若く見えたらどのようなメリットがあるか」などと考察をかけている堅物な自分がいます。

 

いや、でも、待てよ・・・。

鏡の中の自分を見ながらある言葉をふと思い出しました。

 

「思いを一生懸命伝えようとしてくれるときの先生の目、キラキラしてる!」

専門学校で私の授業を受けてくれていた学生たちの言葉です。

そうだ、瞳をキラキラと輝かせること。

伝えたい事を一生懸命伝えた時には、自分の瞳が、キラキラしているだろうことが自分でもわかるくらい輝いていたことを思い出しました。

それならば、今はどうだ?

自分の内にある情熱の炎を燃やし続けられていたか?

その炎を瞳に宿しながら、思いを人に伝えられていたか?

 

あらためて思い返してみると、それを少し忘れかけていたのかもしれない自分の姿がありました。

そうか、だから、周りの親しいみんなから、疲れてはいないかと気遣ってもらっていたのだとようやく2019年の年の瀬に気がつくことができました。

 

 

私の憧れのファッションブランド「ミナ・ペルホネン」。

そこに、84歳のショップスタッフさんがいらっしゃるという記事を読みました。

4年前にオープンした東京青山のミナのお店「call」。

80歳で初の販売のお仕事を始められて今は4年目。

柔らかな物腰、控えめな気品、人生の経験から醸し出される雰囲気や包容力が魅力的だとありました。

あ〜、なんてかっこいいんだ。

会ってみたいなあ。

 

きっとその方の瞳はキラキラとしているに違いない、だから今度東京へ行ったときにはその瞳に会いにお店に行ってみようと思います。

 

「いつも瞳を輝かせながら働くこと」

 

今年のわたしのテーマです。

 

夢を絶やさずに、wish list から to do listにやりたいことを並べ替えて、「誰かの食卓をシアワセにする」ために伝えたい思いをたくさんたくさん焚きつけて、暖かい炎を燃やしていこう。

そして、その暖かい炎で瞳をキラキラと輝かせよう。

ギラギラではなくキラキラと。熱くではなく暖かく。

 

楽しむことを忘れないようにクリエイティブにアクティブに働いていこうと思います。

 

2020年。

オリンピックイヤーの今年は、海外のお客さまにも日本のごはんを紹介したい。

おべんとうやばらずしを一緒に作る機会を作りたいと思っています。

 

 

新しい1年も、こんな私をどうぞよろしくお願いします。

 

お誕生日と年始の同時のご挨拶に代えて

投稿者プロフィール

清水かおり
清水 かおり
料理教室「茶飯事会」主宰。食卓カウンセラー。ときどき、獣医師。

「ていねいな暮らしはちょっぴりていねいな日常茶飯事から」をコンセプトに、「おとなの飯事(ままごと)〜四季折々のばらずしの会」や季節のごはん教室、出張ごはん、など、誰かの食卓をシアワセにするためのお料理活動を展開中。