地元ってなあに?

「地元に戻ってきた」「地元のお祭に参加する」…。

こういうことばを聞くたびに、ちょっと羨ましがる自分がいました。

昔はずっと、鬱陶しいと思っていたのに。

なんだか、こう、「自分の拠点」「自分に戻れる場所」みたいな響きがする「地元」ということば。

そして、わたしの地元って一体どこなんだろうとずっと考えるようになりました。

地元ってなあに?

生まれてからずっと住んでいる場所? こどものころに長く暮らした場所?

そうだとすると、私には地元がありません。

地元はおろか出身地も曖昧です。

出生地だけは山口県岩国市と言えるのですが、生後2〜3ヶ月しかいなかったのだから、岩国出身というのもはばかられる…

転勤族のこどもだったわたしは、今までにたくさん引っ越しをし、そのたびに違う街で暮らしてきました。

そのせいか、十代の頃には生まれてからずっと同じ街に暮らすことがなんとも凡庸で退屈なことのように思えて、早く次の街へ行きたい、と大学もわざわざ北の大地を選びました。自由な新天地を求めるみたいに。

おかげでどこに住もうとその街の良さを見つけて楽しめる、という妙な自信と便利な「よそ者意識」とを身につけることができました。

結婚してからここ茨木に住み始めてはや35年。

いや、35年も住んでいるなら、定義上は間違いなくここが地元です。

とはいえ、なかなか茨木に地元愛は感じられないでいたのです。

市内で仕事をしているわけでもなく、ご近所付き合いも良くないし。ただ寝に帰る場所。

アクセスがいいから住んでいる場所。

よそ者意識。

だいたい、ひとところにこんなに長く住んでいることが自分の人生として絶えられなかったのかもしれません。

それは、長年の間に身体に染み付いた抜けない癖のようなもの。

それでも、子育てをしていくうちに、こどもたちの日々の暮らしを通して少しずつわたしにも茨木での暮らしが馴染み始めてきたのです。

とりわけ多大な影響を受けたのは、保育園での人との交流。

ひとづきあいが心底苦手だったわたしに、人との関わりを愛しいと思わせてくれた場所。

地元のたくさんの個性的な保護者の皆さんと出会い、こんなに素敵な人達がいてこんなに濃いおつきあいがあって、それを楽しいと思えるようになった自分がほんとうに今でも不思議でなりません。・

かれこれ30年も続くそこからのおつきあい、さらには北地の方々と知り合いになって地元産の農作物の尊さを肌身に感じるようになってから、ようやく茨木のことを地元と恥ずかしげもなく呼んでいいのだと自分で納得できるようになりました。遅すぎる笑。

茨木を地元だと思っても、特別わたしが茨木に貢献できることはなにもないのです。

税金をちゃんと払って、がんばって!?選挙に行くくらい。

あとは、せいぜい茨木産のお野菜を使ってごはんを作ること。

これは逆にこちらの方が美味しい恩恵を受けている。

それから茨木ってええとこよ、って友達に紹介すること。

それくらいしかできないけれど、子どもたちにとっては正真正銘の愛する地元を、お孫ちゃんにとってもこれからそうなるであろう茨木を、そのくらいのことでこれからも応援していきたいなと、素直に思っています。

そういえば、わたしの母は戦前のこども時代を茨木で過ごしたそうで、茨木別院さんの近くに住んでいたと言っていました。雨が降ったら茨木川があふれるんだよと。

いやいや、忘れていたけれど、祖母が数年間茨木に住んでいたことがあって、小学生の頃はよく遊びに行きました。

茨木市駅の北側はまだまだ田んぼだらけで、当時大阪市の真ん中に住んでいたわたしにはそれがとても新鮮でした。稲穂がとても珍しかったなあ。

ご縁はあったんですね、ありがとう、茨木。

投稿者プロフィール

清水 かおり
清水 かおり
料理家。 だしソムリエ1級。 ときどき、獣医師。

「ていねいな暮らしはちょっぴりていねいな日常茶飯事から」をコンセプトに、季節を感じる食卓を分かち合うごはん教室開催やごはん作りの家庭教師、出張一日社食など、誰かの食卓をシアワセにするための活動を展開中。

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